公正証書遺言を作成する方が増える一方で、実務の現場では「公正証書にしたのに相続手続きで行き詰まってしまった」という事例に直面することが少なくありません。公証役場で作成すれば安心であるという認識は広く浸透していますが、それだけで完璧な遺言書となるわけではないのが実情です。遺言書は、遺言者がお亡くなりになった後に確実に執行されて初めて意味を持ちます。今回は、遺務の最前線で日々直面している課題を踏まえ、確実に機能する公正証書遺言を設計するための実務的な判断基準についてお伝えいたします。

まず、金融資産の特定方法についてです。近年、金融機関の統廃合や支店の再編が急激に進んでいます。みずほ銀行や三菱UFJ銀行といったメガバンクであっても、店舗の統合により店名や店番号が変更されることは珍しくありません。遺言書に記載した支店名が相続開始時に存在しない場合、金融機関によっては手続きが難航するリスクがあります。そのため、実務上は単に現在の口座情報を羅列するのではなく、将来の支店統廃合を見越した柔軟かつ確実な特定方法を採用する必要があります。また、ネット銀行や証券口座など、通帳が存在しない資産についても、ログインIDやパスワードを直接遺言書に記載するのではなく、遺言執行者が確実に口座を照会し、解約や移管手続きを進められるよう、金融機関名と口座名義人を正確に法的に構成して記載することが求められます。

次に、遺留分に対する戦略的な対応です。特定の相続人に財産を多く残す場合、遺留分侵害額請求のリスクが必ず生じます。このリスクを軽減するために実務上極めて重要なのが、付言事項の活用です。付言事項は法的な拘束力を持たないとされていますが、遺留分を巡る紛争を未然に防ぐための強力な抑止力となります。ただし、単なる感謝の言葉や感情論を記載するだけでは不十分です。なぜその配分にしたのかという合理的な理由や、過去に行われた生前贈与の事実、療養看護に対する貢献度などを、客観的な事実に基づき詳細に記載します。これにより、他の相続人が遺留分を主張するモチベーションを削ぐ効果が期待できます。

さらに、公証人との事前打ち合わせにおける実務家の役割も極めて重要です。公証人は法的な正確性を担保する中立な立場ですが、依頼者の複雑な家族関係や潜在的なリスクを自ら深掘りして対策を提案してくれるわけではありません。依頼者の真意を汲み取り、相続開始後のトラブルを想定した上で、公証人が作成する文案に的確な修正を求めていくのは、実務を担う専門家の役割です。また、証人の選定においても、単に欠格事由に該当しないというだけでなく、将来の遺言無効確認訴訟などのリスクを想定し、利害関係が全くなく、かつ遺言能力の証言に耐えうる人物を慎重に手配する必要があります。公正証書遺言は、作ること自体が目的ではなく、大切な財産と想いを確実に次世代へ承継させるための緻密な設計図でなければなりません。表面的な手続き論に終始せず、将来の執行を確実にするための深い洞察を持って作成に臨むことが、本当の意味での失敗しない作成術と言えます。

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保坂 一成
保坂 一成
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